CX-3と往く巡礼の旅 その10 - 西国三十三所 第二十一番 穴太寺

どうもこんにちは。

京都は亀岡市の郊外にある穴太寺です。ゴールデンウィークに前回の播州清水寺から直接伺いました。

西国三十三所のひとつである名刹のはずですが、そのようなお寺にしては珍しくホームページもないようで、もしかしてやたら敷居が高いお寺さんかしら? とか思いながらの参拝でした。

実際に伺ったところ全くそんなこともなく、むしろ親近感を感じるステキなお寺さんでしたよ!

本堂内や庭園の拝観は有料になりますが、その価値は充分にありましたよ。

穴太寺ってこんなお寺さん

その他の参加霊場

  • 神仏霊場巡拝の道 京都 楽土の道 第百三十一番

穴太寺……なんと読むのでしょうか? たぶん「あなおじ」が正解……かな? かな?

穴太と言えばたぶん大津市の穴太が一番有名だと思いますが、こちらは「あのお」「あのう」と読みます。だからワタシも「あのうじ」だと思っていたのですが、Wikipediaを見ると「あなおじ」となっています。公式サイトもありませんので郵便局の郵便番号検索調べますと地名が「あなお」だと言うことがわかりましたので、お寺も「あなおじ」だろうという結論に至りました。

宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。

穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたことがわかる。『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男が、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師に褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師は健在で、聖観音像の胸に矢が刺さっていた。改心した男は仏道を信じるようになったという。同様の説話は『扶桑略記』にもあるが、ここでは男の名が「宇治宮成」、仏師の名が「感世」とされている。この聖観音像は1968年(昭和43年)11月に盗難に遭っている。

応仁の乱の戦火によって伽藍が被害を受ける。天正年間(1573年 – 1593年)には、明智光秀の丹波攻めに巻き込まれて焼失した。

17世紀中頃に行廣上人が再興する。享保13年(1728年)に本堂が焼失するが、享保20年(1735年)に再建している。

1896年(明治29年)に本堂の天井裏から釈迦涅槃像が発見された。

Wikipedia contributors. (2023, December 14). 穴太寺. In Wikipedia. Retrieved 23:33, May 20, 2024

……さらっと書かれていますけど、西国三十三所御本尊の観音様、盗まれてしまって今はなく、現在安置されているのは模刻とのことです。この聖観音様は上記の伝承から身代わり観音として民の信仰を集めてきたとのこと。盗まれたのは昭和43年ということで、ワタシが生まれる前から行方不明であるにもかかわらず、変わらず西国巡礼の対象として人々は拝み続けているのですね。上手く言えませんが日本人らしいなぁと思いますね。

また、このお寺には他にも有名な仏像があります。

上の記事にある天井裏から発見された釈迦涅槃像は、本殿の奥で布団を被っていつも寝ておられますが、自分の身体の悪いところをなでて、自分の身体のその部分をなでると良くなるという言い伝えがあります。

また、森鴎外によって小説化されている山椒太夫で有名な、安寿と厨子王伝説にちなんだ「厨子王丸肌守本尊」も安置されているようです。手のひらに収まる程度の小さな秘仏です。特別公開されることもある(あった)ようです。厨子王を逃がした安寿が罰として額に火箸をあてられた際、厨子王が守護として持っていたこの仏像が身代わりとなってくださったために跡が残らなかったといういわれがあります。

逃亡する厨子王を匿った寺のひとつがこの穴太寺で、後に厨子王が奉納したものだと言われています。……安寿と厨子王自体が実在しない、本当の意味での伝説だとも言われていますが、夢があっていいですね。

穴太寺はこのように、人の痛みや不幸を身代わりに受けてくださったり、癒やしを与えてくださったりする仏様がいっぱいです。御本尊も薬師如来で人の病などを癒やしてくださる仏様ですしね。ありがたさのかたまりみたいなものですし、巡礼関係なしでも参拝されてはいかがでしょうか?

正式名称

菩提山 穴太寺

宗派

天台宗

御本尊

薬師如来

西国三十三所御本尊 : 聖観世音菩薩

御詠歌

かかる世に 生まれあふ身のあな憂(う)やと 思はで頼め 十声一声(とこえひとこえ)

札所本尊真言

おん あろりきゃ そわか

詳しくはコチラ↓

ロケーション&CX-3的オススメ度

住所 : 京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46
(下の地図の21番です。拡大してご覧ください。左上のでインデックスが表示されます)

CX-3で訪問オススメ指数 : 80%

JR亀岡駅から徒歩ルートなら4㎞程度ですので歩けないことはありません。ただ、その道すがらはこれといった名所も見当たりませんし、国道9号線を渡っていくことになりますので、散策的にもそれほどオススメできる感じではありません。

バスは京阪京都交通バスが通っており、亀岡駅、並河駅から来ることができますが、せいぜい一時間に1~2本程度ですのでクルマの方が断然便利ですね。

境内のすぐ近くに参拝用駐車場があります。15台~20台程度駐められそうです。駐車料金は500円だったと思います。今回ゴールデンウィークに伺いましたが充分余裕があるくらいでしたよ。桜や紅葉の頃はどうなのかわかりませんが、庭園は有名であるもののそれほど桜や紅葉の名所という噂は聞こえてこないような気がします。

クルマで京都市方面から来る場合、下道なら国道9号線ほぼ一択ですが、一択だけに町の規模の割にはよく混んでいます。GWやお盆など大型連休の時はやたら渋滞していることもありますのでご注意を。(平日は平日でそれなりに混んでます)

心配だったら京都縦貫道に乗って亀岡ICまで走った方が良いかもしれません。京都縦貫道は大山崎ICで名神や京滋バイパスと連絡していますので遠方から来られる場合でも使いやすいです。

また、大阪方面からなら上記の高速で行くのも手ですけど、箕面や茨城から北上して亀岡に至るルートがオススメです。穴太寺なら国道423号が一番便利だと思いますが、このあたりの山の中は府道なども色々通っていますので、色んなルートを試せます。ただし、中には離合困難な道もあったりしますので、自信のない方はR423もしくはR477を走りましょう。快走ルートです。CX-3でGO!!

訪問記

冒頭に書いたとおり、今回はゴールデンウィークのドライブということで、播州清水寺に参拝した後でこちらに伺いました。国道372号線をひたすら走るだけですが、このルートも気持ちよく走ることができるルートですし、途中で丹波篠山に立ち寄ることもできます。ワタシは丹波篠山でランチしてから穴太寺に向かいました。

R9を挟んで北側が亀岡の中心部、南側が郊外といった土地で、穴太寺はR9の南側で、さらに京都縦貫道も越えたあたり、昔ながらののどかな町並みの中にあります。駐車場にクルマを止めると山門はすぐそこです。

ホームページもないからそんなに参拝者を歓迎してないんじゃないかとか勘ぐっていましたが、大外れでした。

山門脇にもやる気満々に西国三十三所の石碑が建っていますし、程よく賑わっている空気を感じます。

穴太寺 山門
穴太寺 仁王門

山門はナチュラルに色褪せており、千社札もたくさん貼られていて歴史を感じさせます。

でも、境内に足を踏み入れると、実に整然とした雰囲気に様変わりします。

穴太寺 境内全景
穴太寺 境内全景

でも、本堂に近づいてみると、やっぱり千社札や奉納額がいっぱいで、多くの人々がこの地を巡礼してきた歴史を感じます。良い雰囲気ですね。

穴太寺 本堂
穴太寺 本堂

……でも、忘れてはいけないのは、穴太寺の御本尊は薬師如来。三十三所札所御本尊は上で書いたとおり盗まれてご不在ですが、そこに観音様の魂は在り続けると信じて参拝するのが巡礼の心構えだ……と、勝手に思い込んで参拝いたしました。

ちなみに方丈・庫裏そして庭園、本堂内の拝観は有料です。大人500円ですが庭園も素晴らしく、本堂内もとても荘厳で、さらに「なで仏」として有名な釈迦涅槃像を実際にナデナデできますので、ぜひ拝観なさってくださいね。残念ながら本堂内は撮影は禁止なので、なで仏様の写真はありませんが、立派な木造のお釈迦様が横たわってお布団を被っていらっしゃいます!w 撫でる際はこの布団を引っぺがしてナデナデしていいとのことです。

本堂へと続く渡り廊下
本堂へと続く渡り廊下

それにしても釈迦涅槃像というのは寝転んでいるのがデフォルトで、おなじみのポーズなのですが、よくよく思い返してみると、あんまり目の前で拝見することがないような気がします。そういう意味でもぜひご覧いただきたいと思います。

方丈・庫裏内と庭園は撮影OKでしたので、様子を簡単に動画にまとめてみました。写真の代わりにこちらをご覧くださいませ。

いやぁ、ご満悦でございました。

御朱印

西国三十三所 第二十一番札所 菩提山 穴太寺 御朱印
西国三十三所 第二十一番札所 菩提山 穴太寺 御朱印

さいごに

何度も言いますが、やっぱりワタシはホームページとかがないこともあり、巡拝的にはともかく観光的にはそれほど期待せずに伺ったのです。……が、規模としてはそれほど大きいわけでもないのに実に見応えがありました。やっぱり西国三十三所の札所はどこに行ってもひと味違いますね。

ただ、観音巡礼に伺ったのに、ワタシの心にはなで仏さまがすごく心に残っております。エエんかな?w

どうでもいいことなんですが……このなで仏様は明治時代に本堂の天井裏から発見されたらしいのですが、本堂は1700年代に燃えて再建されているということ。ということは再建時にこっそり安置されたと考えられますが、この仏様は鎌倉時代の作だと言われています。

一体、この成人等身大のこの仏像を、誰がどこから持ってきて、どんな理由で天井裏に安置したのでしょうか? 謎は深まるばかりですが、謎は謎のままで良いのだと思います。

それではまた。

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