CX-3と往く巡礼の旅 その13 - 洛陽三十一番 東向観音寺

どうもこんにちは。

ああダメだ。ゲームに熱中している間に記事のネタがたまりすぎています。

もっとも観音巡礼はそれなりに続けております。単に記事を書くのをサボっているだけです。

というわけで、6月下旬あたりからネタが貯まっておりますので、そろそろ書いていこうと思います。今回は北野天満宮の(ほぼ)敷地内にある東向観音寺さんです。

北野天満宮の参拝はもちろん、さらに徒歩圏内には同じ洛陽三十三所である椿寺地蔵院や清和院もありますし、福勝寺も少し離れてはいますが十分徒歩圏内ですので、まとめて楽しむことができますよ。

東向観音寺ってこんなお寺さん

寺伝によると延暦25年(806)に桓武天皇の勅を奉じて藤原小黒麿らが皇城鎮護のために建立され、当初は朝日寺と呼ばれていた。

天暦元年(947)に朝日寺の僧、最鎮らが天満宮を建立した後の応和元年(961)、筑紫の観世音寺より菅原道真公御作の十一面観世音菩薩を請来し安置された。

応長元年(1311)、無人如導宗師が中興し、花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇信仰深く筑紫の観世音寺に擬して観世音寺または観音寺と改称し、天満宮御本地仏・北野神宮寺または、奥之院とも称した。

本堂が東を向くことから東向観音と称されるようになる。

元は、東向・西向(一夜松の観世音菩薩安置と伝える)の両堂あったが、応仁の乱や火災等で焼失し、西向きは再興されず東向観音堂のみ再建された。

江戸時代に入ると一條家の祈願所となり、一條家出身で明治天皇の皇后になられた昭憲皇太后は、ご結婚なされる前に当寺で勉学に励まれたと言われている。

江戸時代の後期頃より寺名は、観音寺となった。

現在は、真言宗泉涌寺派、準別格本山となっている。

北野東向観音寺公式サイト - 縁起

正式名称

朝日山 観音寺(あさひやま かんのんじ)

宗派

真言宗泉涌寺派(準別格本山)

御本尊

十一面観世音菩薩

御詠歌

ふみわけて ここにきたのの ひがしむき こころはにしへ はこびぬるかな

札所本尊真言

おん まか きゃろにか そわか(十一面観音ご真言)

詳しくはコチラ↓

ロケーション&CX-3的オススメ度

住所 : 京都市上京区今小路通御前通西入上る観音寺門前町863
(下の地図の31番です。拡大してご覧ください。左上のでインデックスが表示されます)

CX-3で訪問オススメ指数 : 70%

京都市の碁盤の目、外角高め(北西)にある北野天満宮のほぼ境内です。賑やかではあるものの市内中心部からは程よく離れていますので、コインパーキングの価格帯も普通です。北野天満宮の駐車場の他、周辺にもコインパーキングがありますので、空きがないということは少ないと思います。

ただし、梅の時期の週末などは混雑しますし、気をつけたいのは毎月25日です。この日は縁日で駐車場は厳しいかと思われます。

このようにCX-3で突撃するにはそれなりに便利ではありますが、オススメ指数はちょっと抑え気味の70%。これは、近くを走る半路面電車である京福電鉄、通称嵐電(らんでん)がオススメ過ぎるというのが大きな理由です。嵐電自体も風情がありますが、その沿線の名所もよりどりみどりです。

このあたりのクルマの便や嵐電のことについては、北野天満宮の近くにある清和院を伺った時の記事に詳しく書いておりますのでそちらをご覧ください。

CX-3と往く巡礼の旅 その11 - 洛陽三十三所 第三十三番 清和院 – SIDE_FLIP blog (flip365.net)

ちなみに2024年中は、紫式部、清少納言にちなんだ地を巡るというテーマの「いとをかしきっぷ」という一日乗車券が発売されているようです。各種ご優待の他、特典もあるみたいですよ。

嵐電いとをかしきっぷ

訪問記

西大路と今出川通が交わる北野白梅町から少し西に行くと見えてきます。

東向観音寺……ではなく北野天満宮の大鳥居が。

北野天満宮の鳥居

この大鳥居(一の鳥居)から楼門へ向かう主参道が北へ延びていますが、その途中で西に外れた場所に東向観音寺があります。こぢんまりとした佇まいながら、提灯なども飾られていますので、左(西)を向きながら参道を歩いて行くと気付くでしょう。参道の西にあり、東を向いているから東向観音寺なのかな? と思っていたら昔は東側に西向観音があったようですので、やっぱりそうみたい。

参道を北に上がって左手に

ワタシは北野天満宮をお参りした帰りに立ち寄りましたが、先に北野天満宮を見てしまうとどうしても地味に感じてしまいます。(失礼)

山門をくぐり、本堂へ。

山門
本堂

中を拝見することはできませんが、ここに菅原道真作の観音様がいらっしゃることに思いを馳せじっくり参拝させていただきます。

ちなみにこの御本尊は秘仏扱いなので25年に一度だけご開帳されるとのことで、次回は2027年の予定だと言われています。

実は今回は特にお寺の歴史などを調べずに来てしまったので、さっくりお参りしてお終いになってしまったのですが、あとで調べると道真公の母上を祀る石塔「伴氏廟」があったり、源頼光の土蜘蛛伝説で知られる土蜘蛛ゆかりの遺物があったりとそれほど広くはない境内の中には歴史が詰まっているようで……またあらためてお参りしたいと思います。

御朱印

東向観音寺 御朱印

ありがとうございます。

さいごに

普段は小さな札所でももっと興味を持ってじろじろ眺め回すのですが、北野天満宮を先に参拝してしまったので、ぶっちゃけそれのオマケ気分での参拝になってしまったような気がします。

まあ、北野天満宮が見応え充分すぎるのが悪い。いえ、ウソです。すみません。

それにしても、日本では神仏習合の思想の元、お寺に神様の祠があったり、神社の中に寺院などがあったりするのは当たり前なのですが、よくよく考えればやっぱりホントは不自然ですよねw

共存させるための勝手な解釈と言えばそれまでなのですが、重要なのはそんな勝手な解釈を民衆が自然に受け入れてきたということですね。言ってみればキリスト教とイスラム教を混ぜて一つにするみたいなものですもんね。これってとても日本人的だと思いますし、宗教上の対立による争いが絶えない世の中にあってなんて協調性のある平和な思考回路なんだと思ったり……したのですが、日本も仏教の宗派間の対立とか普通にありますし、事はそう単純でもなさそうです。

そんなことはさて置き、そういう神仏習合的な視点から見ると、この東向観音寺はとても興味深いお寺さんですね。北野天満宮は全国1万以上の天満宮の総本社で、その祭神である菅原道真は怨霊で天神様で学問の神様だったりします。そんな北野天満宮の神宮寺だった歴史を持ち、その敷地内に門を構え、道真公の作だと言われる「仏像」が御本尊だと言うのですから、こりゃ並じゃありません。

上にも書きましたが、やっぱり寺社は簡単にでもその縁起などを把握した上で参拝する方が良いなど改めて感じました。真っ白な状態で素直に物事を感じるのも大切なことだとは思いますが、やはり歴史的な背景は知識として知っておかないとどうしようもないですもんね。

そんな教訓を今後の巡拝に活かしたいと思います。

それではまた。

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