皆さま、ごきげんよう。
University of Caille 人類学部第7調査班 首席研究員のSaaren Arma(サーレン・アルマ)です。
私が現地調査のためアマー宙域に赴いて、しばらくが経過したが、ちょうどこのタイミングで、毎年の祝祭「アマー建国の日」が開催されています。皆さんはもう行かれましたか?
閉鎖的なアマー社会ですが、この祝祭は全宇宙にアマー帝国の伝統を知らしめるべく行われているものですので、普段別の陣営についているカプセラの皆さんにとっても一見の価値があるものだと思います。
今回は特に、各皇位継承家の本拠星系で行われているパレードに焦点を当てたいと思いますが、本来の現地調査とは異なるため、今回は調査班ニュースの特集としてレポートをお届けいたします。
もちろん、いつも通り、新規公開文献の告知もさせていただきますが、今回のアマー建国の日に深く関係する文献もございますので、ぜひご覧くださいませ。
NEW EDEN 人類学大事典 追加文献
Merimeth Sarumは先代の皇位継承者です。現女帝であるCatiz Iの戴冠に伴い、Shathol’Synの儀式によりすでに命を落としています。Arrach Sarumはその後継者であり、即ち現皇位継承者です。
そして、Dano Gheinokですが、アマー帝国の歴史や宗教を語る時、決して欠かすことができない重要人物です。彼についてはアマー建国の日の祝祭にも深く関わりますので後述いたしましょう。
特集・アマー建国の日パレード
「アマー建国の日」とは?
皆さんは、アマー建国の日の由来をご存じでしょうか?
このアマー帝国の祝祭日の中でも最重要と言われる「アマー建国の日」ですが、もしかするとアマー帝国民以外にとってはその由来はあまり知られていないのかもしれません。祝祭の告知文によるとこうなっています。
予言者ダーノ・ゲイノックによるアマーの教会創建を祝う「アマー建国の日」を讃えるため、今年も信心深いアマー臣民が集結しています。
この祝賀イベントは8月2日から9日まで7日間に渡って行われます。ニューエデン中のパイロットは巡礼の旅に出てたくさんのイベントに参加し、建国の日を忘れられない祭事としましょう。そう、アマー帝国の深い信仰と天にも届かんばかりの強大さは見る者の脳裏に焼き付くほどのものなのです!
公式告知文より
ダーノ・ゲイノックなる予言者がアマーの教会を建てた記念日……これだけではその重要性がいまいちわからないかもしれませんね。そこで、このダーノ・ゲイノックなる予言者についての物語をかいつまんで説明してみましょう。
ひと言で言うならば、Gheinokは「アマー民族最古の指導者」にして「アマー宗教の開祖」たる人物です。
アマー民族は惑星アマー・プライムにその起源を持ちます。アマー帝国の建国は西暦16470年(BYC6766年)と言われていますが、この物語はさらに昔、一説ではEVEゲートが崩壊した頃、即ち15000年ほど前の出来事だとも言われています。
当時のアマー・プライムには、不信心な、神への畏れを知らぬ人々が多数を占めていましたが、そこに現れたのが深い信仰を持つGheinokでした。多くの人々がそんな彼を嘲る中、一部の敬虔な者達がGheinokの下に集まったのでした。しかし、彼らはやはり理解されず、住んでいたAssimia大陸を追われることとなったのです。
しかしGheinokは彼の民を率いて、困難な旅路を進み、ついに永住の地、Amarr島にたどり着き、その信仰に基づく社会を構築しました。……そんな物語です。
そしてGheinokの死後、Amarr社会は混乱の時代を迎え、諸勢力・国家が乱立し、覇権が争われました。結局、初代皇帝Amash-Akuraによって統一され、アマー帝国が建国されるまでにさらに8000年以上の時間がかかったということです。しかし、そのアマー帝国の行動原理は、Gheinokから受け継がれてきたアマー宗教に他ならなかったのです。
こうしてみると、もしGheinokがアマー宗教を興していなければ、アマー島へ民衆を導いていなければ……アマー帝国が存在していたとは思えませんね。
そんなGheinokがはじめてアマー宗教の教会を現在のDam-TorsadにあるImperial Cityに建立したことを祝う。それがアマー建国の日なのです。確かに最重要ですね。そんな目でこの祝祭をとらえると、皆さんが感じる趣もまた変わってくるのではないでしょうか?
Gheinokについて、詳しくは今回の新規公開文献「Dano Gheinok」をご覧くださいませ。
建国の日パレード
さて、それでは建国の日パレードの模様をレポートいたしましょう。
パレードが行われているのは、六つの皇位継承家の本拠星系です。それぞれのパレードを巡ってきましたので、その声明と共にまとめてみます。なお、今回のパレード艦隊は、現女帝Catiz I、およびその戴冠にともないShathol’Synの儀式によって命を捧げた当時の継承権者達を讃えるものになっています。
Ardishapur Prime
シャソル・シンの儀に従って自らの命を絶った皇族の血脈の者は、新たな皇帝の統治を呼び込むためアマー教にその命を捧げたものとみなされる。そうした犠牲を払ったアマー帝国貴族階級の領主らは、聖人とでも呼ぶべき地位を手に入れることとなる。皇族の血脈であるヨニス・アルディシャプールも信心深い生き方を実践して人生の大半を過ごす。きわめて禁欲的な嗜好の持ち主で、アマー教の布教と信者の生活向上に大きな関心を持った人物であった。ヨニス・アルディシャプールの手によるアマターマンデートの発展はアルディシャプール家における最大の功績とされ、その事業は現在もアリム・アルディシャプール卿に引き継がれている。
TES Yonis the Pious 声明文
アマー古来の伝統を重視し、自らもその教えに殉ずる暮らしを続けつつ、民の暮らしにも気を配ったYonis Ardishapur。そんな彼は絶大な人気と権勢を誇りつつも、伝統の破壊をものともしない女帝Jamylと上手くいくはずはありませんでした。彼女に反抗的な態度を保ち、難題を押しつけられつつも、それを克服し、かえってその人気と権力を拡大することに成功した彼は、きっと皇帝の器だったのでしょう。
Sarum Prime
シャソル・シンの儀に従って自らの命を絶った皇族の血脈の者は、新たな皇帝の統治を呼び込むためアマー教にその命を捧げたものとみなされる。そうした犠牲を払ったアマー帝国貴族階級の領主らは、聖人とでも呼ぶべき地位を手に入れることとなる。皇族の血脈であるメリメス・サルムは、ジャミル・サルムの「最初の死」にかかわる状況と腐敗したカーソス・インテレグナムにおける宮廷政治により、サルム家当主としての地位が決まるまで長らく待たされることとなった。サルム家の正式な後継者としての在任期間は短く、その中で最も特筆すべきなのはアラーク・サルム卿を己の後継者に推したことくらいだろう。
TES Merimeth the Serene 声明文
「Merimeth the Serene」―― 穏やかなMerimethと名付けられた通り、軍事色が強いSarum家において、比較的穏健な道を歩んできたMerimethでしたが、そんな彼を讃える艦隊は赤に金色という、Sarum家の紋章「血の剣」を彷彿とさせるものでした。ちょうど今回の新規公開文献に「Merimeth Sarum」がありますので、彼の人生を思い返しつつ、パレードを眺めてみてはいかがでしょう?
Kor-Azor Prime
シャソル・シンの儀に従って自らの命を絶った皇族の血脈の者は、新たな皇帝の統治を呼び込むためアマー教にその命を捧げたものとみなされる。そうした犠牲を払ったアマー帝国貴族階級の領主らは、聖人とでも呼ぶべき地位を手に入れることとなる。皇族の血脈であるアリトシオ・コ・アゾールはコ・アゾール家当主として、実質2つの異なる顔を持っていた。1つはコ・アゾール所領での気まぐれかつ残酷な恐怖政治を敷き、民草や臣下貴族らに対する暴悪が「真理弁士団」によって厳しく罰せられるまで続けられた。対する2つ目の顔は数多くの慈善や寛容さを覗かせたコ・アゾール家当主としての顔である。エルシリア・コ・アゾール卿を後継者に選んだ判断は、ひとえに彼女の外交官そして統治者としての優れた能力を基に下されたものであった。
TES Aritcio the Redeemed 声明文
歴史的な暴君から、特筆すべき名君へと変貌を遂げたAritcio Kor-Azor。女帝Jamylによって首相に任ぜられたのがYC110年。その善政がこれほど短期間で終わりを付けたことを嘆いたアマー国民も多かったのではないでしょうか?
Kador Prime
シャソル・シンの儀に従って自らの命を絶った皇族の血脈の者は、新たな皇帝の統治を呼び込むためアマー教にその命を捧げたものとみなされる。そうした犠牲を払ったアマー帝国貴族階級の領主らは、聖人とでも呼ぶべき地位を手に入れることとなる。皇族の血脈であるウリアム・カドールは激しい情熱を秘めた男として広く知られ、カドール家当主としてはいささか衝動的な統治者であった。その中で特に悪名高いのが、YC110年末に実施されたカドール艦隊単独によるガレンテ連邦への侵攻命令である。軍事的大敗とその後の結末によりカドール家の評判は一度は地に落ちたが、彼の後継者であるハミデ・カドール卿によって同家の名声の大部分が回復するに至っている。
TES Uriam of Fiery Heart 声明文
このパレードという場においても、さすがに褒めちぎることはできないのがこのUriam Kadorでした。ガレンテ領への無謀な侵攻からの艦隊没収。そしてガレンテの反逆者を匿ったことで、Jamylもガレンテによる攻撃を許可する始末。「激しい情熱を秘めた男」というのが唯一の褒め言葉でしょうか……。
Tash-Murkon Prime
真なる信仰の筆頭アポスルにして帝国儀典における最高守護者、荘厳なる女帝カティズ1世は、正確にはもはやタッシュムーコン家の一員ではなく、帝王家の当主という立場にある。それでも王族に昇格してから比較的短期間で、神聖アマーの女帝を輩出したという事実は、タッシュムーコン家にとって一種の誇りとなっている。同家はウード人の血筋が濃く、それを隠そうとしていないことは注目に値する。結果として、カティズ1世は明らかにウード人の血を引きながらアマーの玉座に座った初めての皇帝となった。
TES Catiz of Tash-Murkon Parade 声明文
現女帝Catiz Iを讃えるTash-murokn家の艦隊です。声明文中のウード人(Udorian)とは、アマー・プライムの民族です。アマー帝国がReclaimingをはじめるきっかけとなり、そして隷属させられた民族です。奴隷の血を引く民族が皇帝の位に就くということは、アマー帝国にとってはとても大きな出来事でしょう。Catiz個人のことを見てみると、Tash-murokn家の一員でありながら、10代の頃には家を飛び出して独力でビジネスを行い、帝国有数の企業にまで育て上げた才能の持ち主です。その才能が、これからのアマー帝国の経済にどのような影響を及ぼして行くのか。閉鎖的とは言え、宇宙で覇権を争う帝国ですから国民にとってもそのあたりへの期待が大きいのかもしれません。
Khanid Prime
シャソル・シンの儀に従って自らの命を絶った皇族の血脈の者は、新たな皇帝の統治を呼び込むためアマー教にその命を捧げたものとみなされる。そうした犠牲を払ったアマー帝国貴族階級の領主らは、聖人とでも呼ぶべき地位を手に入れることとなる。クーニッド王国が強大なアマー帝国の麾下に再度加わるという判断を下した国王ガーケー・クーニッドは、女帝ジャミル1世死去の際に皇族の血脈の地位を与えられた。彼の死後、国王ファローク・クーニッド3世は先王を「クーニッドの行進の真なるヴィジリ、聖ガーケー」と讃え、惑星クーニッド・プライムVには「ガーケーの行進」を偲んで規格外の大きさを誇る大聖堂が建設された。
TES Garkeh of the Marches
クーニッド王国を維持しつつ、長き時を経てアマー帝国王家への復帰という大仕事を成し遂げたGarkehですが、皮肉にもその決断が彼の命を縮めることになりました。彼が遺したこの大きなターニングポイントはクーニッド王国にどういった未来をもたらすのでしょうか?
UoC News 後記
皆さん、いかがでしたか?
さすがにアマー帝国の皇位継承者たちだけあって、傑物揃いだと言えるでしょう。しかし、元来アマーの帝位というのは数百年に及ぶ長期間にわたるのが普通だという前提ですが、近年は短期間での皇位継承が続いています。私たちの感覚では、この短期間でこのような人物たちの命を絶たせることは国家にとって良いことだとは思えないのですが、この帝国が7000年近くも続いてきたことを考えると、あまり軽々しくも言えないような気がします。
それでも、最近の傾向を見て、アマー帝国の指導者層、そして国民達は、この自殺の儀式についてどう考えているのか。ぜひ取材してみたいものです。
ご存じの方が多いと思いますが、このパレードの艦隊はそれぞれ自分たちの紋章をかたどった隊形を組んでいます。それを確認できる画像を掲載して、今日の締めくくりといたしましょう。
なお、アマー帝国について興味を持たれた方は、このUoC第7調査班ニュースの前号、前々号に掲載の新規公開文献や、最近の調査ファイルもぜひご覧くださいね。
当調査班においては基本的に独自の方針に従って翻訳・編纂を進めておりますが、ご利用の皆さまのご要望も承っております。早めの翻訳をご希望される資料や、興味のある研究対象などございましたらご遠慮なく、私、Saaren Armaの代理人広報窓口並びに、この記事へのコメントなどを通じてお申し出くださいませ。我々のリソースの及ぶ限り、前向きな対応をさせていただきます。
それでは今日はこの辺で。
皆さまのご利用に感謝申し上げます。
University of Caille 人類学部第7調査班
首席研究員 Saaren Arma