Merimeth Sarumは、現在のSarum家のアマー皇位継承者であり、YC110年に叔母である女帝Jamyl Iによって、彼女の即位後間もなくその地位に指名された。彼はJamyl I戴冠後の王室官僚機構の大規模な改革と、同年のElder Invasion(エルダー侵攻)によって破壊されたMekhiosの再建を監督してきた。数世紀にわたって統治することを期待されるMerimeth Sarumは、任命されてから比較的短期間で、新たな領土に対する自らの権威を示してきた。
若年期
MerimethはYC49年、Sarum Primeにあるファミリーの本拠ステーションで生まれた。無数にいる同様の貴族たちの一人というだけで、Merimethは大きな成果を上げることは期待されていなかった。彼の両親はSarum家の艦隊で艦長を務めていたため、結果的に彼らとはあまり関係を持たなかった。その代わり、彼は叔母であるJamyl Sarumと親密な家族的関係を築き、思春期の頃まではほとんど母親代わりであった。
成人教育とキャリア
軍事色が強いSarum家の一員であるから、Merimethには将校として帝国海軍に参加するよう、相当な圧力がかかっていた。YC67年、彼は神学を学ぶため、Hedion大学に入学したが、それは平凡でほとんど目立たない進路だった。彼は4年後首席で卒業し、海軍ではなくMinistry of Internal Order(MIO、帝権保安省)に入った。彼の貴族としての地位と、いくらかJamylに気に入られていたことから、はじめの数年はもっぱら行政官僚的な仕事に従事していた。多くの貴族たちと同様に、Merimethは早々に出世し、40歳の誕生日にはオペレーション・コーディネーターになっていた。MIOで得た影響力は、Sarum家での彼の地位にもかなり反映され、北部Domein領域全体の内部安全保障上のことでしばしば意見を求められるようにもなった。皇帝Heideran Ⅶの治世の終盤において、叔母であるJamylが、来るべき継承の試練で勝利することを確実にするために密かに策略を巡らすのを、彼は大いに補佐していたと噂されている。
推定継承者として
YC105年、Jamyl SarumがSuccession Trials(継承の試練)に敗れて自殺したとき、彼女は継承者を指名しなかった。代わりに、一家の上層部はMerimethを推定継承者に選ぶことを決定したが、MIOの上級職員としてリーダーの資質を示してきたMerimethにとってはこれは全く不本意なことだった。それでも彼は推定継承者に選ばれたことだけでもありがたいと思っていた。なぜなら一家の長老たちは、Jamylは実際には亡くなったわけではないと内々には気付いていたからだ。
新皇帝Doriam IIの下で、Merimethは他の継承者のリードに従ったが、彼が比較的若いことから、自立する可能性は厳しく制限されることとなった。この時期、経験の浅いMerimethは、Sarum家の上層部の操り人形に過ぎなかった。Doriam IIが暗殺されたとき、Merimethは、帝国皇位の問題のすべての解決を遅らせようとするCourt Chamberlain(コートチェンバレン・宮廷侍従長)の Dochuta Karsothの政策により、中途半端な状態に置かれたままとなり不愉快な思いをしていた。しかし、彼は推定継承者でしかないことに屈辱を覚え、自ら進んでSarum家の一族の先頭に立ち、Karsothに断固として対抗した。
Elder War(エルダー戦争)とミンマターによるSarum Primeへの侵攻の際、Merimethは、電撃的帰還を果たしたJamylによって司令官に任命された執事のPomik Haromiの指揮の下、Mekhiosの防衛を補佐した。軍事経験がほとんどないMerimethには、領地防衛の指揮を任せられるほどの能力はないと思われていたのだ。叔母の帰還から間もなく、Merimethの地位はこれを限りに封印されることとなった。
継承者として
YC110年10月、女帝Jamyl Iは、彼女の甥であるMerimeth SarumがSarum家の皇位継承者となることを承認した。Merimethは「誇りを持って責務を受け入れ、その義務を果たそうと思う」と語った。継承者としての彼の最初の行動は、Elderの戦いによって破壊されたSarum Primeやその他の領地の再建を手助けすることだった。この輝かしい機会を早々に掴んだことで、彼は多くの人々からの支持を得たが、Sarum家の一員としての彼の活動は、叔母の活動の前では目立たないものとなってしまった。女帝が9世代以上続く奴隷たちの歴史的解放を発表したとき、Merimethは、彼の領地のすべてのホルダーがこの命令に従うべく、強権を発動した。
アマー帝国が比較的安定した状態に戻った今、Merimeth Sarumは、王位継承者として中央部と同様に遠方の惑星にも訪問し、自分の領地支配を強固にすることに時間を費やしている。Sarum家の一員が君主として君臨するため、Merimethは叔母の影に隠れてしまうこともしばしばである。また、他の継承者に比べて比較的若いということもあり、Merimethは自分が権威を持つにふさわしいということを証明するために極めて積極的に活動してきた。今のところ、帝国の貴族たちも、彼がその役割を十分に果たしてきたと認めている。
訳注 : Merimeth Sarumはこの文献が書かれた後、YC118年にJamyl Iの崩御に伴うSuccession Trial(継承の試練)に敗れ、Shathol’Synの儀式により命を落としている。
参考文献
- Amarr Heirs(未翻訳)
- Sunset(Chronicles・未翻訳)
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EVE Universe – Lore – Merimeth Sarum
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