Jetekは眠れずに、何もない廊下を歩き、艦内の星空が見える場所へ向かった。
すべての宇宙船には、デザイン上どこかに展望用のプラットフォームがある。祝賀会会場から思索のための場所まで色々な用途で使われている。装飾が施され、暖かく、そして星たちを観察するための機器が並ぶ大きなホールになっているものもあるだろう。また、小型艦ならひとつの窓と、目の前の惑星について人類が持つあらゆる知識を呼び出せるインフォメーションスクリーンを備えただけの小さな部屋かもしれない。
この部屋はその中間くらいだった。円形で入り口はひとつだけ。そして高い天井からのわずかな灯りに照らされて、いくつか置かれた金属製の椅子が落ち着いた金色に輝いていた。壁にはアマー宗教の肖像や造形が飾られていたが、そのほとんどは最近掛けられたSarum家のバナーで部分的に覆われてしまっていた。 その金属製の椅子を別にすると、部屋の中央から奥にかけてある家具は、主に背もたれのない小さなベンチで、柔らかく、紫色のスエードのような素材で覆われていた。部屋の奥全体が透明なポリカーボンガラス製のカーブした壁に覆われており、この壊すことのできない壁の向こうには無限で不変の空間が広がっていて、小さな王国ほどの広大な星雲が存在感を示していた。
部屋の中央にあるローベンチに座れば、子どもの頃に戻ったように自分のことを小さく感じる。この複雑な時代、Jetekは時折そんな気分を懐かしんでいた。頭の中のうねりを鎮めたい、彼がここに来るのはそんな時だった。移ろう世界の中の小さな部屋。金属と星たちでできた小さな森、それは常に凪のような静けさを与えてくれた。
Jetekは他の皆と同じく、厳選されたクルーだった。彼は精神分析チームと医師チームの両方の精査を受けた。殊更に自分の忠誠心を売り込むようなことは決してなかったものの、それは疑いようのないことだった。――彼は政治家ではなく、クルーなのだ。
だからこそ彼はこの船に乗船し、数日間の旅路にて、女帝Jamyl Sarumを目的地に送り届けることを任されていたのだ。
彼女の従者たちは、船の居住区に自分の場所を持っており、クルーは自由に立ち入ることを許されてはいたが、王室の側近たちと入り交じることはそれとなく避けられていた。誰もがこの船の中での自分の居場所をわきまえていた。
だから、ほとんどのクルー達が何事もなく眠り、おそらく女帝の従者達もみなそれぞれの場所にこもっているだろう時にJetekはこの部屋に入り、ベンチに座っていた。今までここに来た時と同じように、幸い誰もいないだろうと期待してそうしたのだ。
誰かが咳払いをした時、彼は身の毛がよだつような感覚を覚えて振り向いた。そして部屋の暗い場所に立っている人物を目にすると、恐れのあまり皮膚が身体から引き剥がされるように感じた。
Jamyl Sarum。彼女が何者であるのかは、彼女の帰還のはるか前から誰もが知っていた。最近のミンマター侵攻の時に彼女が為したことは、まさに誰もが知ることだった。このふたつの物語は調和するものではなかったが、それでも彼女がミンマターの侵攻を直ちに防いでしまったことは、誰もが同意するところだ。彼女の名声は神話レベルにも達しようかと言うくらい伝説的なものとなり、そのイメージは、若い男性の心に明らかに世俗的な考えを抱かせるような、並外れて美しいものだった。彼女はこの世界の誰よりも神々しい存在だった。
彼の前、10歩も離れていないところに、アマー帝国の支配者、女帝Jamyl Sarum一世が立っていた。
彼は、弱々しい泣き声とも息が詰まった喘ぎともつかない音を立てた。
そこに立っていた彼女は彼に目をやると、ゆっくりと近づいた。彼の両脚は今やゼリーのようで、逃げ出したいと思ったのに、ただ引きつるばかりだった。パニックで凍り付く頭の中で、恐怖が彼を麻痺させていることをありがたく思った。陛下からやみくもに逃げれば、許しも目的もなく彼女に立ち入るよりももっと良くないことになりそうだったから。
「あなたの名前は?」彼女は言った。彼は見つめ返すばかりで、話すことができなかった。
彼女はさらに近づいた。彼女の茶色の絹のローブはもうひとつの影のように彼女の後で引きずられ、そのひだにある金色の装飾は、わずかな灯りの中で輝いていた。彼女の長い栗毛は彼女の背中に垂れ下がっているが、その色の濃さのせいでローブとほとんど見分けがつかない。彼女は彼に微笑んだが、彼の状態はますます悪くなるばかりだった。
「私は、従者たち以外と話せないことにうんざりしているのです」暖かい日差しのような声で彼女は言った。「息苦しいわ。私は他の人たち、特に暗闇の中の孤独な魂に手を差し伸べたい。私たちは未知のものを恐れてはいけないのです」彼女は頭を傾けた。「大丈夫? あなたは食事どきの奴隷商人よりも大きな口を開けているわよ」
彼の喉はようやく空気を通し、あえぎつつもようやく話すことができた。「女帝陛下、本当に申し訳ございません。邪魔するつもりはございませんでした。お許し下さい。退散いたし……」
「ここにいて」Sarumは言った。「一緒に居ていただきたいわ。この長旅では、考えるか独り言を言うくらいしかすることがないの」
「女帝陛下、私はこっそりあなたに近づこうとは本当に思っておりませんでした。こんなに近くに居るべきだとは思いません――」
「ああ、静かに。私は少しも不安ではありません。それに、あなたがやって来たのは聞こえていたのよ」と彼女は言った。
このことにJetekは驚いた。彼が入ってきたとき音は立てなかったはずだが、彼女の言葉は彼を安心させるものだった。彼は席を立ってSarumの前にしばらくひざまずいた後、もう一度立ち上がって窓の方に行き、節度ある距離を取って立っていた。彼女は彼に歩み寄り、再び彼の肌を粟立たせつつ、同じ星を見つめた。
「神の偉業についてあなたはどう思いますか?」彼女は言った。
「申し訳ありません、陛下?」
彼女は彼にもう一度素敵な笑顔を見せた。「空よ、Jetek。あなたが旅する海よ」
彼は馬鹿者だと思われないように願いつつ、この問いについて考えた。彼が思いついた最善の答えはこうだった。「素晴らしいと思います、陛下。私に考えつくのはまさにこの言葉のみです」
「いい言葉だわ」とSarumは言った。「でも、そこに住む人々についてはどうでしょう?」
「彼らの中にも素晴らしい人がいます 」とJetekは答え、舌を出してしまわないように、舌を噛んだ。女帝の方向性はチェンバレンのそれとは違うだろうし、最高指導者の世界観に逆らうことは、どんなに好感が持てる相手だとしても良くないことだ。
彼女は彼が口ごもったのに気付いたようで、微笑んでこう言った。「そうね。実際、素晴らしい人もいるわね。でも、そうでない人についてはどうかしら? 私たちは彼らに何をすべきなのでしょう?」
「陛下がよくご存じのことでしょう」Jetekは即答した。
彼女は星たちを振り返ったが、彼のあいまいな答えに納得したのかどうかは全くわからなかった。しかし彼女の表情は堅く、無表情なものに変わった。それはJetekに惑星の裏側を通過することを思い起こさせた。彼は生きてこの部屋を出られることを願った。
「ある人がいたわ。彼の名前は忘れてしまったけれど。私は難しい状況の中でできる限りのことをしたけれど、彼にとっては不充分だった」彼女は言った。「彼は立ち向かわざるを得なかったのね。必死な時って合理的に物事を解決できないものよ。文句や怒りは整理がつくまで頭の中に留めておかなくてはいけないの」
「そして、あなたはどうするのですか?」Jetekは思わず尋ねていた。
彼女は堅い視線で彼を見つめた。「対処するのです。時には、誰かがどれほど自分自身をひどく傷つけているのかを理解させるために、彼らを傷つけなければならないこともあるわ。彼らのためだけでなく、彼らと接するすべての人たちのためにも、悪者になって救いに行かなければならないの。その人達が同じような業火で焼かれてしまわないように」彼女は星々から背を向けて座ったが、Jetekの方からは決して視線をそらさなかった。
「だからこそ罰という言葉があるけれど、それは彼らを生涯監視し、支配下に置き、社会における生産的な役割を与えるといったこと――そんな正しい行いを表すには不適切な言葉ね。私が探している言葉は何かしら、Jetek?」
「私に答えることができれば良かったのですが、女帝陛下。心からそう思います」Jetekはこの男のことを覚えていた。彼の名前はKerrigan Orshaだった。おそらく今もそうだろう。公開の場での激烈なスピーチにおいて、彼はJamyl Sarumを罵倒し、彼自身の帝国の最高指導者就任を目前に控えた彼女のことを、決して口にしてはならない名で呼んだのだ。集会は混乱に陥り、Orshaの家族は自分たちを守るために彼を見捨てた。それは一応効果があった。Orsha卿は異端者として裁かれ、死刑宣告を受けたが、女帝は彼に曲がりなりにも寛大な措置を与えたのだ。彼女は死ではなく、彼の皮膚のあらゆる部分に彼の暴言の数々の刺青を彫るよう命じた。そして彼に残りの人生を修道院にこもって聖典を学び続けるという選択肢を提示し、彼はそれを喜んで受け入れた。この時点で、彼の長きにわたる公人としての人生は事実上終わりを告げたのだ。
女帝は遠くを見ていた。そして言った。「……祝福」
Jetekは身震いした。
「私は彼を仲間にしようとしたのよ。もし私がそうしなかったなら、あの人はバラバラにされるまで罵り、暴れ続けたでしょうし、彼を悲惨な運命から救い出すことはできなかったでしょう」彼女は再び星たちを見上げてそう言った。彼女の表情は穏やかになった。それはまるで再び太陽が昇ったかのようだった。
「私のことを美しいと思うかしら?」彼女はより穏やかな口調で尋ねた。
「はい、陛下」彼は一瞬の逡巡もなく答えた。
「私のことを素晴らしいと思うかしら?」と彼女は尋ねた。すべての単語の音節が意味を持っていた。
「はい、陛下」彼は再び答えた。
「私のことを恐ろしいと思うかしら?」彼女は、すべてが同じ質問であるかのように尋ねた。
「はい、陛下」彼は、事実そうであるとわかった上で言った。
二人の間に静寂が訪れた。船の音、稼働中の物から聞こえてくるわずかな軋みや振動以外には何も聞こえなかった。Jetekは、これだけ強大な存在がこれほど静かであり得ることにただ驚くばかりだった。
彼女はまだ遠い目で彼を見ていたが、それが何かを期待しているのか、それともただ思索にふけっているだけなのか、彼にはわからなかった。彼女を失望させるわけにはいかず、彼は言った。「彼にとっては大いなる慈悲です。あなたの時代でなければとても期待できなかったことでしょう、陛下。人々は敬意を払うべきでございます」
彼女は頷くと、立ち上がって窓の方へ歩み寄った。彼女の絹のローブが席から離れると、柔らかな音を立てた。
彼女は言った。まるで星たちに向かって言うように。「その男には5人の子供と12人の孫がいた。彼には友人もいた……すでに失ってしまったとしてもね。彼は有名人だった。そして敬意というものは、常に絶やすことなく灯し続けなければならない小さな炎のようなものだわ」
船は軋む音と共にわずかに向きを変えた。
彼女は彼を振り返ると、その表情は今や太陽そのもののようで、まばゆいばかりに威厳があり、平和的で安らげる、そしてすべての中心でありすべてを圧倒するものだ。それは終末の腕に抱かれているかのようだった。
「彼の身体に、聖典の言葉と共に、彼の子供たちとその子供たちの名前も彫り込んだわ」彼女は言った。Jetekはその人生が終わりを迎える日になれば誓って言うだろう。まるで解放を望んでいるかのように、彼女の目に光るものが見えたことを。「そして、彼は自分が何者で、私たちが何者であるかを決して忘れないでしょうね」
彼女は再び静かになった。彼のゴクリと飲み込む音が聞こえ、彼は口が開きっぱなしになっていることに気付き、すぐに口を閉じた。
「でも、この会話のことは誰にも言わないでね」と彼女は言った。その口調には脅しや危険を感じさせるような響きはなく、ただくつろいだ、不安すらない善良なものだった。
「もちろん言いません」と彼は言った。
「もちろん言わないわね」と彼女は繰り返した。「わかってるわ」
星たちはJetekに冷たく無慈悲で、頼りなくゆらめく炎のような彼の運命の火をすぐにでも消し去ってしまうように思えた。
女帝も同じ星たちを眺めていた。「私たちは、彼らを……彼らすべてを、彼ら自身から救わなくてはなりません。彼らの運命を取り戻し、私たちの元に取り込まなくてはなりません。そして、彼らを愛さなくてはならないのです。たとえどれだけの痛みを伴うとしても」
彼女はグラスに触れ、そして付け加えた。
「このわがままな子どもたちすべてを」
参考文献
この文章は下記原典を翻訳したものです。原典の著作権はCCPに帰属します。
EVE Universe – Chronicles – All These Wayward Children
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